しろくまブックス

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「少年の日の思い出」の思い出

医者なんていうやつは、ろくでもない変態野郎ばっかりだ!…と思い込んでいた(今でもちょっと思ってるけど)若すぎたあの頃に出会ったある精神科医のことを思い出したのは、朝からテスト勉強していた息子の一言がきっかけだった。

国語の教科書では定番のヘルマンヘッセの「少年の日の思い出」という物語にでてくる少年に対して、息子の担任が「逆ギレしとるだけ」と言ったという事を聞いてしまったからだった。

逆ギレ?
心の底から驚いた。

あの物語を読んで、先生が「逆ギレ」という言葉で少年を評価したことに、ぞっとした。

話のあらすじはとても簡単だ。
ひとりの少年が優等生の友人がコレクションしている珍しい蝶に心を奪われ盗んでしまう。そのすぐ後に罪悪感に襲われて蝶を返そうとするがもう蝶はポロポロに崩れてしまっていた。
最後に彼は友人に謝りにいくが、友人にさらに気持ちを踏みにじられる。
家に帰った少年は自分の蝶のコレクションを全て潰してしまう。

今の世の中に照らし合わせれば先生の言葉はよく分かる。悪い者は徹底的に悪く、正しい者は徹底的に正義だ。悪は初めから最後まで悪でなくてはならず、何をしても糾弾されてしかるべきだと思われている。

でも、ここで描かれてるのはそんな簡単な問題じゃない。
いつも模範生の友人に対する劣等感。
そんな友人が自分がどれだけ求めても手に入らないものを手にしているという妬み。蝶を見た瞬間の恍惚と盗んだ直後の罪悪感とか、その後の後悔とか、友人に正論を叩きつけられたときの言い返せない怒りとか。

彼を推し量るべきところはたくさんあるのに、これが全て「悪いやつだから仕方がない」というあまりに乱暴な言葉、短絡さ、鈍感さに恐怖を覚えた。

こんな事を私に言ってきた息子も、もしかしたら多少は違和感を持っていたのかもしれない。

昔出会った精神科医の先生は珍しく(←個人的な意見です)とてもまともな人だった。蝶が大好きで、たくさんのコレクションを持っていたし、時々休みを利用して南米まで蝶を採取しに行っていた。

そんな彼がこの「少年の日の思い出」の話をしていたのを思い出した。
そういえばあの時彼は
「あの少年の気持ちが分かる」と言った。

この物語には2人の少年が出てくる。
優等生の少年と、蝶を盗んだ少年。
彼が「分かる」と言ったのはどっちの少年の事だったのか。

どちらに感情移入していたにしても、あの人の慎しみ深い判断を、とても懐かしく思い出した。

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