しろくまブックス

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あみ子に名前も顔も覚えてもらえなかった少年の思いを代弁する

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子供の頃、あみ子と少し似た友達がいた。

彼女はいつも教室のカーテンに隠れていた。
白くてかわいい手がいつも見えていてすぐに先生に見つけられていたけど。私はカーテンに隠れている彼女がとても好きだったし無理矢理に引っ張りだしても意味がない事が分かっていたのでそのままにして置いてあげればいいのにといつも思っていた。

彼女とはよく一緒に遊んだ。彼女のお家でスヌーピーのぬいぐるみでする空想ママゴトは最高に面白かった。あの時の彼女のトランシーバーは時々雑音が混ざるけれどそれは彼女の魅力のひとつでしかなかった。けど大きくなるに従って私は月並みな人間になり、彼女とは遊ばなくなった。それでもいつも気になって話しかけたり、時々からかったり、忘れられない友達のひとりだった。何年か前近所で偶然会った。あみ子のように忘れられてはいなかったけど私が思ってるよりも彼女の私に対する熱量は低かったことだけ覚えてる。彼女にとって私はあみ子にいつも話しかけているのに最後まで名前も顔も覚えてもらえないあの男の子と一緒だ。

そしてあの頃の彼女を思い出すと、懐かしさと同時にすごくすごく苦しくなる。あの子はあの時学校でずっとずっと明るくてかわいくて泣き虫でみんなと関わろうとしていて、彼女もおもちゃのトランシーバーで一生懸命に何かを伝えようとしていたのだ。でもおもちゃのトランシーバーは雑音だらけでどれだけ耳を澄ましても私たちにはもう彼女の気持ちも言葉もうまく受信できなかった。

あみ子の物語を書いた今村夏子という人物は先日読んだ文芸誌で知った。あまりの才能に面白いというよりも驚いたというのが最初の感想。
そして、今出版されている彼女の本はたった1冊だけだと知った。

その「こちらあみ子」。この物語を書ける彼女の才能を思ったら私だったら発狂するかもしれないと感じた。最後にトランシーバーで一生懸命応答を求めるあみ子、そしてやって来る田中先輩(お兄ちゃん)のシーンはどうやったらこれを作り出せたのか、あみ子の叫びは精神にずんずんとくる。

最後にあみ子は自分を呼ぶ声を受信する。それはきっと大人になったあみ子がおもちゃなりにトランシーバーのうまい使い方を覚えたからだろうか。

人から理解されないことは罪なのか。
すごい作品に出会ってしまった。