しろくまブックス

本のこと。嵐のこと。すきなこと。

蜷川さんについて言葉が見つからないけど書いてみる

蜷川幸雄さん死去
出張から帰ってすぐに悲しいお知らせを聞く。

蜷川さんの生の舞台を観たいと願ってとうとう叶わなかった。

私なんかが表わす言葉は見つからないけど、舞台や映画の世界で独自の世界を作って、かつ若手の俳優を起用しその才能を見出して世に送り出した方でした。

私が観たことがあるのは舞台の映像や映画などごく僅か。一昨年のちょうど今頃に「私を離さないで」の舞台を観るチャンスがあったけどスケジュールが合わなくて断念したのが後悔してもしきれない。

雑誌などのインタビューや対談のテキストも好きでよく読んでました。偏見のない広く深い心と作品を作り上げる気骨が好きでした。

素晴らしい作品はたくさんあるけど、嵐ファン的なところから言うと(そうでなくても)青の炎は原作×演出×役者の黄金比が最も分かりやすく認知できる作品だったと思う。
世間では役者としてほぼ無名だった二宮とあややの才能をあれだけ開花させることができたのは本人の努力以上にアイドルという職業の本質を深く理解している蜷川さんの力が大きかったはずだ。

青の炎またみたくなっちゃった。
(と思って探せばすぐ出てくる用意の良さ。)だけどBlu-ray版買っちゃおうかな。
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蜷川さんのご冥福をお祈りします。


出張中の嵐

東京来てもだいたい秋葉原周辺で完結してしまうし、お買い物したりも皆無。だから原宿なんてこんなオシャレエリアへ打ち合わせに行くなんてほとんどない。せっかくなのでムスメが前から所望していた表参道の「ドミニクなんとかベーカリー」←名前覚えられん。という今流行りのお店へ寄り道してみる。
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出張前にムスメが一生懸命貯めたお小遣い1200円を渡され、どうしても食べたいの!お願い!って頼まれたのは「クッキーショット」というコップみたいな形のクッキーでここに牛乳を入れて飲みながらかじるみたいな食べ方をするらしい。スケジュールもタイトだし、こんなの私でも作れるんじゃね?← とか言ってめんどくさがってる私にムスメの一言

「嵐のみんなも食べてたんだよ!相葉くんもニノも食べてたよ!私も食べたい!お母さんも食べたいよね?!ね!」

ムスメ、私の動かし方をよ〜く分かってる。

結局ムスメから預かった1200円握りしめて並んだのだけど、このクッキーショットとバニラミルクのセットで1300円(°_°)って足りんじゃん。
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白河夜船

この前友人と話してました。
色々あって読書欲がすっかりなくなったとか。
読みたいと思っていた本に急に魅力を感じなくなってしまったとか…


はいはいはい。言ってましたよ。←投げやり
積んであった本の山にワクワクしなくなったし読みたい本がなくて逆に楽になったよね気持ちが。←もはや強迫観念

だからせっかくだからしばらくは本気で心を入れ替えて家事や仕事とかちゃんとやろうって気持ちになってたんだけど、人間そんなに簡単に変われるなら随分と楽チンだ。←雲行き怪しすぎ

読もうと思ってた本を全部本棚にしまって並ぶ背表紙を眺めても食指は動かない、ほうほう中々いいことだ。今までの私ならそのまま本棚の前で本を読み耽って動けなくなるところだ。
そのまましばらく順調に本を整頓していてふと手に持ったのが吉本ばななの白河夜船。学生時代に読んだきりで少し前に実家から引き揚げてきてそのままになってたやつ。

内容なんかすっかり忘れてたし、ただ手に持っただけなのに、なんとなく本当になんとなくこれ読もうかなと思ってしまったんだ。

読み始めてすぐに、これはヤバイやつだ、これは今読んだらヤバイやつだって頭の中警告音がガンガン鳴ったね。でも読んじゃった。

天気のいい昼間だったのに、読んでる間はずっと真っ暗な真夜中だった。今更映画やドラマみたいに号泣したりはしないけれど、今の私にとってはそれなりの衝撃のある物語だった。

私の本棚はそうやって、私自身よりも私の心理に先回りして、時に私の気持ちを代弁したり、癒したり、かき乱したりするんだ。それは本当に絶妙なチョイスで、この本棚は私の無意識の意識に完全にリンクしていることを実感してしまう。

白河夜船という言葉のように、死に近付き過ぎるくらい命を削って眠ってしまうことも、命と引き換えているような異常な読書をしてしまうことも根本は同じなのかもしれない。そしてそんな異常な状態からまるで夢から覚めるようにして、ある日突然変わらない日常に戻っていくのも同じ。生きている人間の強さなのだとしたらすごいなと思う。

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止まない雨

長い連休
このお休みは今まで生きてきたなかでおそらく一生忘れられない日々になった。

そしてこの事について考え続けたこの数ヶ月のことも。

弟が天国に行ってしまった。
かわいい奥さんと小さな小さなふたりの娘を残して。

なんで弟なのか、私じゃなくて。
たくさん本を読んだ。
人は死んだらどうなるのか?
もともと人は、生命はなんなのか、この世界はどうなっているのか?弟の運命を肯定できる材料を探し続けた。

神様に祈ったり、ガラにもないこともやった。
運命はかわったのだろうか。

その日はずっと雨だった。
家族も友人も全部揃って弟と和やかに談笑した。ニコニコしながら時間を過ごしてそのまま天国へ旅立った。

生まれて初めて癒えそうにない哀しみを知ったし癒えなくてもいいと思った。雨はずっと降り止まなかった。

連休中に企画していた親戚旅行。旅行先じゃなくて名古屋に全員集合した親戚。練習した出し物のダンスや一発芸、バカみたいな景品、旅行スケジュールを立てた日々は戻らなくて。

お通夜ではお焼香の列が長く伸び、いつまでも終わらなかった。
弟の同級生でもあるふたりのお坊さんがあげるお経はいつまでも止まらなかった。

私でさえ、弟の姿を探す。
両親や義妹、姪たちはきっともっと探している。弟は目に見えない何かになった。その何かはきっとそこら中にあるだろう。
そのひとつひとつが持っている弟の愛のカケラが、ちいさな姪たちにいっぱい届きますように。
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あみ子に名前も顔も覚えてもらえなかった少年の思いを代弁する

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子供の頃、あみ子と少し似た友達がいた。

彼女はいつも教室のカーテンに隠れていた。
白くてかわいい手がいつも見えていてすぐに先生に見つけられていたけど。私はカーテンに隠れている彼女がとても好きだったし無理矢理に引っ張りだしても意味がない事が分かっていたのでそのままにして置いてあげればいいのにといつも思っていた。

彼女とはよく一緒に遊んだ。彼女のお家でスヌーピーのぬいぐるみでする空想ママゴトは最高に面白かった。あの時の彼女のトランシーバーは時々雑音が混ざるけれどそれは彼女の魅力のひとつでしかなかった。けど大きくなるに従って私は月並みな人間になり、彼女とは遊ばなくなった。それでもいつも気になって話しかけたり、時々からかったり、忘れられない友達のひとりだった。何年か前近所で偶然会った。あみ子のように忘れられてはいなかったけど私が思ってるよりも彼女の私に対する熱量は低かったことだけ覚えてる。彼女にとって私はあみ子にいつも話しかけているのに最後まで名前も顔も覚えてもらえないあの男の子と一緒だ。

そしてあの頃の彼女を思い出すと、懐かしさと同時にすごくすごく苦しくなる。あの子はあの時学校でずっとずっと明るくてかわいくて泣き虫でみんなと関わろうとしていて、彼女もおもちゃのトランシーバーで一生懸命に何かを伝えようとしていたのだ。でもおもちゃのトランシーバーは雑音だらけでどれだけ耳を澄ましても私たちにはもう彼女の気持ちも言葉もうまく受信できなかった。

あみ子の物語を書いた今村夏子という人物は先日読んだ文芸誌で知った。あまりの才能に面白いというよりも驚いたというのが最初の感想。
そして、今出版されている彼女の本はたった1冊だけだと知った。

その「こちらあみ子」。この物語を書ける彼女の才能を思ったら私だったら発狂するかもしれないと感じた。最後にトランシーバーで一生懸命応答を求めるあみ子、そしてやって来る田中先輩(お兄ちゃん)のシーンはどうやったらこれを作り出せたのか、あみ子の叫びは精神にずんずんとくる。

最後にあみ子は自分を呼ぶ声を受信する。それはきっと大人になったあみ子がおもちゃなりにトランシーバーのうまい使い方を覚えたからだろうか。

人から理解されないことは罪なのか。
すごい作品に出会ってしまった。


さっきまであなたがいた未来

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すごく話題になっているみたいですが、私も初めて聴いた瞬間から頭から離れなくなってしまったのが、宇多田ヒカルさんの「真夏の通り雨」。

その日、天気のいい朝お洗濯を干すためにベランダに出た。
目の前に突然現れたのはベランダの外の濃い緑で、あまりの濃さと眩しさに目を細めながら、毎年どんどん萌え行く緑を眺めるのが楽しみだったのに、今年はそれさえも忘れ、さらにこの緑を見て今が夏に向かっているのか冬に向かっているのかしばらく考えなければ分からないまでになっていた自分に愕然とした。

ZEROは報道番組として好きだし(翔くんの育ち具合も気になるし)なんとなく観てるのだけど、この曲を初めて聴いた時、おそらく歌詞とかメロディとか短い時間で分析できたわけではないと思う。それでも五感全てが私に揺さぶりをかけてくるのがすぐに分かった。これは何なのか。iTunes Storeで買えるようになってすぐに購入した。

勝てない戦に息を切らして、季節も分からないくらい毎日をすり減らしていたことに気付いた日、大切な人とのタイムリミットを知った。

さっきまであなたがいた未来を私はどう生きればいいのかな?

彼女の歌は緑の若葉から青空に向かって吸い込まれていくような、湿り気を帯びた真夏の雨の匂いのようなものが私のカラカラの胸をどんどん満たしていく。

この曲に出会っていなかったら今頃私は自分でも気づかないくらいの暗い場所にいたかもしれない。癒されたいのではない、励ましもいらない。悲しくてその場から動けなくても、少しだけ穏やかにその時を過ごせるような時間があればそれでいい。
この曲はそんな居場所のような曲です。


あんな度肝なら、何度でも抜かれたかった 〜Japonismアリーナツアーに寄せて〜

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嵐のアリーナツアーが明日から始まる。
元々の狭き門はすでに門なんてものじゃないよな、障子に開けた穴くらいかな?

運良く去年のドームツアーに行くことができた私は案の定落選。この汚い顔も送り損という事になった。(せめて厳重に管理して下さい事務所さん、あの5人には見せないでくれ頼む)

落選して暫くは落ち込んだけれど、ここ最近はまたJaponismを聴き始めた。あのアルバムは近年で一番だと思うしドームツアーも忘れられない。(でも、そろそろメモリがヤバイからDVD早よ)
初めてアルバムタイトルと布袋さんの歌詞を聞いたときはあんな政治と経済の野望渦巻くインバウンド産業を背負いまくったアルバムもないと斜に構えていたけれど、発売後はアルバム全体のあまりの完成度に東京方面に向かって拝んでしまった。ありがたやーって。

あの世界観をさらに昇華させたのがドームツアー。名古屋の初日、といえばツアーの初日。ここに参戦する私はこの後に及んでも日本の和をモチーフにした演出に正直不安ばかりだった。しかしその後コンサートが始まってすぐ、私のそんなステレオタイプでしか物事を考えられない貧弱な想像力を大いに恥じることになったのだけど。

いくら耳を塞いでも、シャットアウトしても情報の方からどんどんやってきてしまう現代で、なんの情報も無くびっくり箱のような新鮮な驚きをもって楽しめるのはツアー初日だけの特権である。
めくるめく3時間、魅せる・聴かせる・弾けるのメリハリがはっきりした構成の中、ドームの津々浦々に目を凝らし5人の気配を追いかける4万5千人。一年で最も視力と勘をフル稼働させて疲労困憊のババアがここにひとり。日本の和をモチーフにした演出は私の想像の遥か斜め上だったし彼らの考え抜かれ、選び抜かれ、魅せるための努力の賜物はそれを感じさせない、それはそれは素晴らしいエンターテイメントだった。

またペンライトの無線制御は座席毎にペアリング用のICタグが用意され、デジタリアンの時よりもひとつひとつのペンライトの制御が可能になった、その光の演出はもう圧巻としか言いようのない光の渦。その光の瞬きは無限の色と模様を作り出して私達は制御されっぱなし。なんならこのままずっと制御されていたいと思うほどだった。

毎回毎回、これ以上はないと思うほど楽しくてハッピーにさせてくれる嵐のコンサート。だから毎回が過去最高だと思える。まさに期待に応え、予想を裏切る素晴らしいライブだった。

明日から始まるアリーナツアー。
きっと今回も度肝を抜かれるような新しくかつ嵐らしい演出で楽しませてくれるのだろう。
とても行きたかった。
だけどドームに行けなかった人にもこの気持ちを体験して欲しいとも思う。
次はいつ参戦できるか分からないけれど、きっとまたいつか、度肝を抜かれに行きたい。そう思っている。